理想の自分になる・憧れの自分になるのがホントに良いことなのか?

理想の自分になる、憧れの自分になる。そう思うのって自然なことでもあると思う。

とはいえ、この理想や憧れの自分って果たしてホントにそうなんだろうか?

確かに巷の啓発書では「目標とする人物像」を思い描けなどと耳にする機会は多い。

ただ、目標とする人物像に「なる」ってのが果たして正解なのだろうか?

自分以外の誰かになる

理想や憧れの人になる、その目標自体は素敵だと思うが、果たしてそれが自分にとって良いのか?というとまた別だと思う。

というのは理想や憧れの人と設定しているということは、恐らくだが今の現状の自分の状態が芳しくなく、何とかしてでもその理想とする人物像になろうとしている、という理由が考えられる。

<仮説>

現状の自分が「嫌で」何とかしたい、それが根底にあるということは、今の自分を認めてないとも捉えることができる。

つまり出発点が自分自身の否定が出発点となっていて、そこから何とか脱却したい。その為に理想とする自分の像を思い描いてるとも考えられる。

↑つまりこれが出発点だと


  • 今の自分を否定する
  • 理想とする像こそ正義

  • こんなようにならないだろうか?確かに「現状の酷い自分」を否定して、理想とする自分に近づけるのは素敵だと思う。

    ただ、自分を否定して理想とする人物像に近づけるって、そもそもが自己否定から入ってるから苦しいんだよ、マジで!

    一見目標に向かって進んでるようで、実は現状の自分を否定して理想こそ正義だと、ホントの自分の奥底に眠る自分は可哀そうだよね。。。

    じゃあ今の自分を全面的に受け入れましょ

    啓発書やYouTubeのそれ系の動画でもよく聞くフレーズだが、どんなダメな自分でも全面的に受け入れて行くことが出発点。

    まぁ言わんとすることは分かるよワカル。ただ、これまで長年否定してた中でいきなり肯定しましょう、といってもいきなり全肯定って正直最初は抵抗がでる。

    普通に考えて


  • 今の出来ない自分を受け入れる?
  • 結果が出てない自分を受け入れる?
  • ダメな自分を受け入れる?

  • まぁ、そんなダメな自分は蓋をして生ごみで捨ててしまいたいのが本音でもある、、、が何故受け入れるのがこれほどまで困難なのだろうか?と考えると他人に良い姿を見せたいが根底にあるのかな、と。

    なぜ他人に良い姿を見せるワケ?

    自己肯定感でしょうね、自己肯定感が低いが故に自己肯定感を埋めるためには、他人からの賞賛だったり・他人から受け入れられたりするのを求めてしまうからでは?

    じゃやそんなダメな自分でも、ハリボテの作り上げた砂上の楼閣の如くユラユラとした土台の上の自分は本当の自信ではなく、あくまで人の賞賛という不安定な上に成り立つ。

    まぁ、これは一見スグに人からの賞賛が手に入るようで実は手に入らない悪循環に陥る。

    鏡の法則

    人は自分の思いや思考に応じた結果を引き寄せる。つまりこういうこと。

    例えば他人からの賞賛が欲しくて欲しくて、称賛が欲しい欲しいと思って人に接する。

    但し、欲しい欲しいというその思いに応じて、それ相応の人が集まる(この例だと「賞賛が欲しい欲しい」という人が周囲に集まり、称賛を貰える以前に、集まってくる人々も賞賛を欲する人が寄ってくる。

    じゃあ反対に、自分が他人に対して与えて与える(GiveGive)の精神を持つ人だとどうだろう?

    集まってくる人も他人に対して与えて与える(GiveGive)の精神を持つ人が寄って来て、あなたが他人の良さを褒めたり賞賛したりするのと同じく、周囲の人も「あなたに対して良さや称賛をGiveする人」が寄ってくる。

    GIVEの人になるには?

    ズバリ、GIVEを与えるためには「人から貰う」という他者承認ではなく、自己承認に切り替えること。

    そもそも、人に与えるということは自分の中にエネルギーが必要。

    だが、貰うがベースだとこのエネルギーを蓄えられないし、常に「クレクレ(賞賛を)」となって、まるで砂漠で喉が渇いて延々とコーラを飲んでるようなもの。

    じゃなくて、まずは他人からの賞賛→自分自身で自分を認めて受け入れる、に切り替えるとエネルギー源を自分で作り出せる。

    GIVERになるなら自分を全肯定

    そう、単純に自己承認ということはどんなクソみたいな自分でも、それは現自分を構成する要素なんだから、それも含めて受け入れる。

    否定から入ると「じゃあダメなんだ、なら誰か別の他人のようにならないとな」となってしまって、明後日の理想像に向かって邁進してしまう。

    だが、肯定から入ると「どんなダメな自分でもいいじゃん」と、自分で自分を全面的に認めてあげられる状態ってのは、自分で自分を100%バックアップしてサポートしてあげられてる状態なので安心感がでる。

    この安心感が、どんなダメな自分でも大丈夫ということに繋がり、自信へと繫がる。

    そもそもホントの自分とは?

    書き出すとメッチャ長くなりそうだし、肩が痛いので適当に切り上げるが、人間が地球に生まれ落ちる前の魂の話として、既に何らかの目的を持ってるという説。

    これは色々な本や動画でも言われてるので、詳細はググってみて欲しいのだが、この魂こそが真の目的を持って地球に誕生したのではなかろうか?

    この辺はまた別の機会に書くとして、魂からしたら現状のチマチマした「ダメな自分」なんて実は大したことでもないのかもしれない。

    その人の苦手とすることこそ得意

    これはよく聞くことではなかろうか?

    よく成功者と言われる人でも、


  • 「実は昔は人と話すのが苦手だったんです」というような人が今では名スピーチをする人であったり
  • 昔は全く勉強できなかった人が有名な学者になってたり

  • なんて例は枚挙にいとまがない。

    こんな例なんて数え上げればキリがないけど、要は実は自分の苦手・ダメこそ自分がキラリと光るものが隠されてるんじゃないのか?ということ。

    そのキラリと光るものが、実は苦手・ダメなことに隠されてるからこそ、それを掘り当てるために、自分で自分を全面的に受け入れて認めるってことがスタート地点なのかな。

    ということで、クソな自分・ダメな自分でも100%受け入れてみましょうかね?