世間体の世間って誰よ?周囲の意見でなく自分の好きなように生きていいんじゃない?

天秤

世間体をよくする、世間に申し訳ないという時の世間体って具体的にどこまでを指すのだろうか?

そして実際に世間というものに従って生きてみて、満足いくだろうか?

今回は世間体に従うよりも自分の選択を考えを重視した方がいい理由についてお伝えします。

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世間体の世間って誰?

世間体がいいだとか世間に悪く思われる、という時の世間の具体的な人って誰でしょう?

世間体という言葉で一括りにしがちですが、まさか日本国民全員という訳でもないでしょう。

そもそもですが国民や地球の人が全員同じ価値観を持って、全員が同じ思考、考えを持つ訳でもありません。

そうなれば世間体の世間が日本国民や地球全体の人が世間体の括りに入るか?というと極めて疑問でもあります。

では具体的にもっと絞ると地域の同じ地区の住民や友人という事になるのでしょうか?

これも正直全員が同じであるという場合はレアだと思います。

ということは 世間体の指す人が具体的にどこら辺までなのか?というのが非常に曖昧 なんです。

世間体をよくすることは重要か?

車

この世間体をよくするだとか満たすことは重要か?というと 重要ではない です。

では世間体をよくするために何をするのでしょう?

・周囲の人に良く思われる行動や思考をする
・周囲の人が知ってるであろう会社や学校を選ぶ

この周囲の人というのはこれもどこまでが周囲の人でしょうか?

自宅から半径250メートル以内に住む住人でしょうか?
それとも友人や親戚一同でしょうか?

生きる軸が他人軸になってしまってる

周囲という枠は一旦置いておいて、周囲によく思われる行動や周囲に良かれと思われたい会社を選ぶという考えはチョイと危険かもです。

というのはこれは自分が望んで選ぶというよりも、周りが望む思考、行動に基準を合わせてしまってるため、選ぶ基準軸が他人になってるんです。

基準軸が他人の状況は不安定

案内標識

世間体がいいの世間の基準というのは明確にコレというのが決まってません。

その時々の周囲の人々にもよるでしょうし状況によっても変わってきます。

ということは常に基準がその時その時で変わりますし、それに合わせ続けるということはハッキリいって疲弊します。

周囲の意見や考えに合わせて行動を選んでいて、 自分で自分の選択を選ぶというのはあなたの考えや価値基準がスッポリと抜け落ちてしまいます。 

  • 世間体が良いメリットはあるのか


・直接周囲から何かを言われる訳でもない(称賛という意味で)
・逆に何かマイナスなことが起こったときだけ世間という言葉を出される

傾向があるように思います。

世間体が仮にいいとされる行動や振る舞いをしたとして、周囲の人に良かれと思われる行動をして

・周囲から称賛されたポイント等見える形のものは何もない
・ただ周囲からそう思われてるかも?

という見えない陰に常に追われてる感覚に近いのではないでしょうか。

世間体がという人はなぜ世間体という言葉を出すのか

世間がという言葉を出す裏には 結局のところ自分と同じ位のレベルの範囲内であって欲しいという願望 が隠されていたりするからだと思います。

自分と同じ位の生活水準で考えた場合

・そこから著しく外れる生活をする人
・自由気ままだけれど自分より遥かに豊かな生活をする人
・逆に自堕落な生活をする人

と自分とかけ離れた生活をすると人に対して、自分の基準を中心に考えてしまって、その基準から外れる人をあまり良く思わない。※要は他人の違いを許容できないという事でもあります

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その基準であなたの生活を測ろうとするのがそもそも無理がありますし、仮にその価値基準にあなたが従ってもしも失敗などしても他人は責任は負いません。

責任は負わないのにただ同調や口出しをするのは筋違いだと思いますし、人が100人居れば100通りの生き方がありますし、それぞれの価値観や感じ方がある訳です。

他人の生活よりもまずは自分の基準軸を取り戻す

世間体が世間体が、と周囲によく思われたい願望は自分よりも周りの願望を満たすことが主となってますが、これは永久に満たされない願望です。

というのは他人が10人居れば考えや価値観が異なります。
そこに基準を合わせていれば常に振り回されて疲弊するだけなので自分軸に切り替える。

・自分のしたいことをする
・それに対して責任を取る
・自分を全面的に自分で受け入れる

ことをするといいでしょう。

周囲の意見のような他人軸ではなく自分の考えを軸として生きれば軸がブレませんし、何よりも人との違いに寛容になれます。

自分のしたいことを我慢してると、自由にする人がどうしても許せない。
それで世間体がというワードを持ち出してある程度の枠にはめ込もうとする図式でしょう。

なら自分の責任で生きたいようにすればいいだけ

鷹

世間が世間がという言葉に踊らされていざ世間体に従って行動した結果、泥船ごと沈んでも最終的な責任の所在はあなたです。

これってよーく考えてみれば非常にバカバカしいもの。

確かに学歴がとか一流企業がということで一時的に称賛をされるかもしれませんが、それはあくまで所属してる枠であって本人が立派ということとはまた別です。

人は称賛をされたい生き物ではありますが他人からの称賛を求めるに行ってしまうと他人軸になりますし、自由が利きません。

でしたら自分軸で自分の好きなことをして生きる方が余程いいのではないでしょうか。

自分の好きなことをして他人を蔑ろにするという訳でなく、 好きなことをしつつも他人の事を許容して敬意を払うことは同時にできます。 

ただ両立させればいいというだけの話ですんので自分の好きなように生きてみるのもいいでしょう。

なぜ同じような考えや行動するような圧力があるのだろうか?

今の学校教育はしりませんが、 学校教育で「みんなと同じ」「みんな友達」という集団教育の刷り込みの弊害 だと思ってます。

本来は人間の数だけ価値観や好みが分かれるのが普通ですが、それを自分を押し殺して周りに合わせて生き続けてる結果かな?と思う訳です。

ただこれは大人になってまで集団教育の同じという圧力に縛られていては息苦しくもなります。

周りに合わせたところで責任を取る学校の先生のような存在は居ませんし、周囲に合わせても結果周囲が責任を取らないならば周りの意見に従うというのはバカバカしいものです。

あくまで自分の軸と考えを持ちつつ、他人の考えや行動も尊重し、他人の異なる考えも許容できると自分の許容範囲も広がります。

さいごに

世間体の世間の具体的な人というのは指し示すのは非常に困難でしょう。

そして具体的にどこの誰?まで示せない世間というものに対して

・世間体をよくすることだけに注力をするのは重要ではないと思います

というのは人間がいればその数だけ価値観がある訳ですし、その価値観全てに沿ってあなたが生きるのは無理があります。

時間的にもまた人が異なればまた異なった価値観に沿って生きる必要が出てきます。

そして周囲の意見に従って生きたところで周囲は決して責任を取りません。
見事なまでに責任をとりません。

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それでしたら日ごろから周囲の意見などに怯えて世間体という非常に曖昧なものに従うよりも、あなたの自由に生きた方がいい、そう思いますよ。

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